つい寄ってしまうお店
このお店いいなぁ、と思った最初のお店は、小学生になって連れていかれたお店だった。
幼稚園では買い食いが禁止されていたが、小学生になるころには馴染みの駄菓子屋さんがあり、周囲の品行方正な家庭の友人たちを魅惑の駄菓子ワールドに引きずりこんだ私を、変な意味で見込みありと祖父はふんだのだろう、
「いい店につれていってやる」というわけで連れていかれたのが、回転焼き屋さんだった。今川焼という呼び名が一般的なのかな。
ぱっと見たところでは、回転焼き器と出来上がった回転焼きをストックしておく場所がガラス越しにみえて、すぐ隣の小さな窓ごしに注文して受け取れる回転焼きテイクアウトオンリーのお店のように見えたのだが、お店に沿って道を曲がると小さなテーブルと椅子が3組とベンチのような長椅子がおいてありイートインスペースになっていた。
回転焼きを食べる場合はお茶は無料だったと思う。
栓抜きを紐でぶら下げてある冷蔵ショーケースにはジュースがいっぱいあり、奥の方には瓶ビールが見えた。
壁にはおでん、うどん、お赤飯という札が貼られてあり、ほかにもなにか食事っぽい総菜っぽいようなものがあった気がする。そしてかき氷各種の札も。
門前町などにある団子屋さんがラーメンやうどんといった食事をだし、お酒もおいてあるというような感じに似ている。
私はすっかり気に入って、その後何度となくいくうちに大人がたまにビールを飲んでいる場面にも出くわした。
たくわんをポリポリしながら、テレビをみたり、将棋を指していた大人が私と友達が入っていくと「お客さんだよ~」と言いながらお茶を入れてくれたりした。
イートインスペースで、回転焼きを食べながら回転焼きを作る姿を眺めるのも好きだった。回転焼き器も大きいものではなかったが、チャッキリなんて道具はなく、柄杓で生地をすくって型に均等に流しいれ、餡をキビキビといれてからもう片方になる生地を入れて型にいれていき、焼き加減をみてフタをするように生地を合わせていく。
店主が回転焼きを作っている途中に別の客さんがくると、今度は私が「お客さんです」と声をかける。なんとなく、大人になったような気分だった。
夏はかき氷が店の主役、大繁盛だが、回転焼きが開店休業だったわけではない。
かき氷を食べた後にお土産として回転焼きを持ち帰ったりする人が一定数いたし、おじいちゃんが回転焼きとお茶、子供たちがかき氷を食べるのを眺めながらお父さんが総菜をつまみにビールを飲んでいたり。
地味ながらも回転焼きがヒットを重ねて、かき氷で走者一巡のホームランという感じだろうか。ビールはDHの打つ二塁打だ。
こういう業態というのは、なんというか、屋台をいくつか合わせたような、海の家みたいな感じでメニューとして特別なものはないし、組み合わせも何となくおかしいのだが、大人も子供も寄りやすいのか、誰かしら常にお客さんがいた。
もちろん店主の人柄もあったのだろうし、値段にみあった美味しさも季節で主力商品が変わる楽しみもあっただろうが
大人にも子供にも気楽な店作り
「親しみやすい、寄り道のひとつ」になっていたからだろう。
お客様がつい寄ってしまう、というのはお店にとっては強みであり、この「つい」がリピートに繋がるのだけれども、それは、店主の丹精こめた店作りのたまものである。
強みには、形に出せる強みと、重ねていって得られる強みがある。後者には時間がかかる。この重ねていった時間も何もかもを飲み込んだのがコロナ禍。
多くのつい寄っていたお店が、このコロナ禍を乗り切って、またたくさんのお客様に寄り道していただけるよう、心から祈る毎日である。