食べる前に心に与える善き未来への御馳走とは
先日、テイクアウトをしようとあるお店に立ち寄ったら、なにが原因なのかは分からないけれど、お客さんの中にすごい剣幕で子供を怒鳴っているお父さんがいて、それはもうなんというかヒステリックだった。
人間、機嫌が悪いと食べ物は美味しく感じられないものだし、緊張や不安、悲しみがあっても同じことだろう。
ネガティブな感情は美味しいを弱める傾向にある。安定の美味さを誇る吉野家の牛丼でも、ため息が出るような出来事を心に抱えて食べるのと、ウキウキした気分で食べるのとでは消化の具合も違ってくるものだ。
ネガティブなものの見方をしてそれにどっぷりつかっていると、美味しいという喜びが半減し、体の反応すら良くないものになる・・・ということは、ポジティブなものの見方をして、物事はよい方向に向かっているととらえることが空腹の次に重要な調味料ということにもなる。
なんのこっちゃな話しであるが、コロナ禍ではないもののその影響はやはり続いていて、材料の高騰やら円安やらなんかこうパッとしない社会の雰囲気や悲惨な事件をピックアップしてテレビはニュースとして流し続け、我々はどっぷりマイナスなイメージの未来を描いていたり、現状を悪化しているととらえたりしやすい状態にあるよねということ。
そういう状況で物事をなるべくポジティブに見るというのは、一時的にはできるけれど、習慣にでもしないとネガティブが覆いかぶさってきちゃう。
「じゃあ、世の中は良い方向なの?隣人は良い人なの?」という問いがされると、多くの人が疑い深い目で世の中や隣人を見ると思う。
でも、多くの場合、それはイメージであって事実ではないよと。世の中は捨てたもんじゃなく、人々は現在どのような状況にあっても善良な心をもっているものなんだよという多くの証拠を見せてくれるものに触れれば見方はグッと変わってくると思う。
一時的なポジティブでなく、人間の人類の善き面にふれる良書
この中に出てくる寓話は作者不明だけれど、わりと有名なんだと思う。
おじいさんが孫にこう語る
「人間の心の中には悪いオオカミと善いオオカミがいていつも戦っている。悪いオオカミは短気で怒りっぽく、傲慢で嫉妬深く利己的。善いオオカミは平和を好み、謙虚で親切で寛大。この2匹はお前の心にも、わしの心にも他の多くの人の心にもいるのだ」
孫は問う「どちらのオオカミが勝つの?」
おじいさんは笑顔でこたえた「お前が餌を与えたほうだよ」
美味しくものを食べたければ、心の中の善きオオカミにより多くの餌を与えなければならないよね、ということ。
食べ物はエネルギーになるわけで、そのエネルギーをどこに振り割るかというのは大事になってくると思う。できれば、それは善きことの糧となるようなものへと願う秋の夕暮れでありました。