ありがたきかな!!冷えた麦酒と今日の糧
「食べる」こと「食べ物」についての本を読むのは楽しい。
眠れない夜があれば、私はココアをいれてベランダに出て星を見る。ただし、これは冬だと寒いし、夏だと蚊にやられるので限界がある。そうなると、部屋に戻って本を読む。眠れないときの本は、初めて読む本でなく、お気に入りの本を読むことにしている。
しかし、時代劇ものを読むと、まして池波正太郎あたりに手をだすとココアが熱燗とスルメになっていたりするので要注意である。深夜に、読んでいてこちらも食べたくなる、飲みたくなるようでは、ちょいと困ることもある。
食べ物のことばかり書いてあるが、食べたいという刺激が弱めな、しかし面白くもあり、ためにもなるような本があるかというと、ある。
内田百閒のものすごく個人的な感想だったり物の見方だったり、独特の美学というかこだわりというか頑固さというか、それが面白い。解説を「阿呆列車」シリーズにヒラヤマ山系として登場する平山三郎が書いていて、こちらもとても面白い。
丑年生まれの牛好きで、子供のときには様々な牛の玩具を買ってもらい、それにあきたらずに本物の牛を買ってもらったというくらい、何不自由ない我がまま坊ちゃんの生活は、かなり百閒の人となりに影響を与えているのだろう。
何不自由ない生活は長くは続かなかった。
しかし、家が傾こうが、空襲で焼け出されようが、年を重ねようがしかし、決めた時間に食事の用意が出来ていないと騒ぎ立てるくらいの我がままっぷりは大人になっても残り、食いしん坊っぷりはブレることがなく、戦中、戦後の食糧の少ないときに、たとえ食べられなくても、食べたいものや記憶の中の美味しかったものを書き出していたりする。
鯛の刺身、まぐろは霜降りとろのぶつ切り、こちの洗い、鯉の洗い、あわび水貝、塩鰤、いいだこ、このわた、松茸、ポークカツレツ、牛肉網焼き、シュークリーム、上方風ミルクセーキ・・・・等々、昭和19年の夏になかなかに贅沢なものを書き並べているわけだが、これを楽しみとするか空腹への拷問とうけとるかは個人の性格というか感性の違いだろうと思う。
私の場合はやはり楽しみであって、あれを食べよう、これをこう料理しよう、あの店で食べた饅頭は美味しかった、などと思いめぐらせるだけでなんとなく明るい気持ちになる。
ちなみに、昭和19年は、歌舞伎座をはじめ多くの劇場が享楽追放として休場し、高級料理屋だけでなく、バーまでも閉鎖された。プロ野球も中止。百閒が好きな1等車、食堂車も全廃された。
また、竹槍訓練が本格派した年でもある。もちろん竹槍では間に合うわけはないのだが、東条英機は「竹槍では間に合わない」という記事に激怒して、その新聞を差し押さえた。戦争も根性論もロクなものではないのである。
さて、内田百閒は麦酒、ビール好きだった。
これからジワジワと暑くなってくるし、冷えたビールが飲みたくなること毎日
この本の中に、内田百閒の作品もある。
作品を読むたびに、飲みたいと思ったときに、飲めるということがありがたく思える。ただ、この本全体を読んでしまうと「一本くらい、いいような気がする」という天の声がして、気づくと小走りにコンビニに向かっているという流れになるので、休みの昼間にでもしっかりビールを用意して読むことをオススメする。
夏の夜、ベランダで、星空を眺めて飲むビールは美味しいけれど、寝るに寝られぬほど蚊に攻撃されるのでご用心。