昭和の働き方している限り生産性なんてあがらないよ
あるお店でテイクアウトを待っていると、そこのアルバイトの人が入ってきて、厨房の奥で叱られていた。どうやら遅刻したらしい。
遅刻すると上司に怒られる、同僚からのダメな奴だな視線を受けて、5分の遅刻で人生の時間の無駄遣いだという話にまで発展し、社会人にとっての信頼、信用、会社の規定だなんだかんだをチクチク言われることもある。
遅刻はしないほうの私だが、遅刻に対する上司や会社の態度には昔から疑問があった。こういうことを言うと屁理屈だと感じる人も多いし、実際そう言われてきたのだが、私はなんとなく納得いかなかったので、責任者になったときに実験をしてみたことがあります。
現場のトップが毎日眉間にしわ寄せて残業しまくり、仕事が大変だというのを誇っているようなタイプであったが、残業代はある一定までしかつかないという会社にいたとき、私は小さな部門の責任者で、私の補佐につけられた社員、パートさんやアルバイトさんに
「特別なことがない限り、定時であがること!」を毎日の目標にしましょうと伝えました。反応は始めたころは「はぁ、何言ってんの?」な感じでしたが、やってみると、これがなかなか難しい。残って仕事をしていると私が怒り出すわけですから。
仕事がないのに定時までダラダラと仕事をひっぱりお喋りをして、社内のうわさ話しや仲間の悪口で時間を過ごすということが一番無駄だし、毎日10分かそこらの残業がつかない時間を働いている風で無駄にするというのも理解できなかった。時間を守れという会社が、遅刻にはガタガタ言うくせに、働く側になんの益にもならない居残り的残業には、何も言わないというのは契約としてもおかしいのに・・・。
労働においては、日本風な忖度とか気遣いみたいなのが利益になるのって働いている側じゃないのに、働く側が一生懸命にそこを守って見えないけど強固なルールのようになっている。冒頭のお店でも、遅刻に対しては問題視するけど、10分とかのサービス残業はありがたくしてもらうという形なのではなかろうかと、もしそうで、遅刻してきた若者がそれを当たり前のように受け入れている世の中だったらイヤだなぁと思うわけです。昭和の働き方はもう古すぎるでしょう。
さて、私がもう20年以上前にやった「定時であがらないとダメ」という実験は、現場のトップからの圧力に悩まされつつも、仕事の効率、生産性、行き届いた清掃、問題点の共有、解決、目標の共有など多くのことにメリットがあったので、上もうるさく言わなくなりました。ただ、時間余ってるなら新しい仕事を入れることだけはしませんでした。早く仕事が終わるなら新しい仕事(労働)を入れちゃうという愚はやってはいけません。仕事の質の向上に向けたり、情報の共有に向けたりすることのほうが大きな効用があります。
仕事がはかどるかどうかは別にして、遅刻してこなくて、とりあえず仕事にとりかかっている(ように見えたら)それでよし、というような価値観と物差しでいる限り、生産性は改善されることもなく、成果もともなわないと・・・・おっと、これまた日本の政府の仕事っぷりによく似ていますな。日本政府からの受注先もね。