ため息をついて、しかし、立ち上がる!
新型コロナの影響で、4~6月期GDPは戦後最大の落ち込みだそうで、
そりゃこれだけ経済が停滞してるんだから当然なのだけれど、飲食系にはホント不都合なことが多い。
飲食系で働く知人から「調子はどうですか?」と連絡がきた。
気温は、うなぎのぼりの酷暑だけれど大体が状況はブリザード。
しかし、私が、
「とにもかくにも支えてくれている人のおかげでどうにかなっている」と話し「愚痴や嘆きは一切ないよ。シンドイけど、日々感謝だよ」といったら
「そう、こっちは辛い日々だよ、踏ん張れない」とポツリ。
状況的には知人のほうが痛手が少ないのだが、小さい痛手だと靴の中の小石のように気になるようだ。
そりゃ私だって半分以上は空元気。
しかし、このコロナ禍の中で、誰だって愚痴や嘆きはいくらでも出てくるのだし、それだけを共有していても何も変わらない。
お店を経営する友人は、周囲の経営者たちがやる気を失ってしまっていること
に加えて、一時的であっても様々な貸し付け金が手元にあるので気が緩んでいるように思えると言っていた。
「神様は恐怖の後ろにプレゼントを置く」と言った人がいたけれど、
状況が状況だからね、という嘆きを共有して恐怖をやり過ごして、
失敗できないから、経費かけられないから、どうせお客様は来ないからという節約とも諦めともつかないような姿勢ではプレゼントはないような気がする。
もちろん気合だけでどうにかなるものではないけれど、気合もなくなったら
やる気ももちろんないわけで、知恵のひとつも浮かばない状態になってしまうだけ。
やる気が落ちてきたお店というのは、まっさきに清掃に手を抜くようになってコロナ禍の前には「掃除が金運を運んでくる」とかなんとか言っていた店主も
放ったらかしになり、お店の調度品もなんとなく埃っぽいというか、カサついた感じがしてくる。
そして活気のないカサついた周りの店主や経営者が嘆きのセレナーデで諦めタンゴを踊るのと、同じことをしていても何も起こらないし、変わらない。
そこから抜け出し、
周囲との微差をつけることに集中すると小さな変化が起きてくる
無駄に終わって、成果が出ないこともあるだろうけれど、どんより落ち込まないで。その微差を手に入れて変化が起きたときに一緒に喜んでくれる人のことを考えると、きっともうひと踏ん張りできる。