仲良くを求めすぎない
ネットスラングで使われていたコミュ障といわれるコミュニケーションが苦手な人達がいる。
やや内向的な人が多いのかも知れないが、そういう人はどこにでもいると私は思っている。
それはあなたが下手なだけ
「若いバイトだとこっちが気を遣って疲れちゃってさぁ」と、ある居酒屋の店長が嘆いていたことがあった。
これは、裏返せば相手が気を遣ってくれることを前提としているから
「疲れちゃう」のであって、単にコミュニケーションが下手なのは自分だと公言しているようなものだ。
《仲の良さ》を求めすぎると、人間関係に不和が起きやすくなる
多くの人が考える《仲良し》というものは、もしかしたら学生のノリのままではないだろうか。
なんでも打ち解けて話せ、お互いにたくさんの自己開示をして秘密を共有する。
いや、そんなことはないと反論する人は多い。では、職場での《仲良し》とは何ですか?と問うと
お互いに尊重しあって、同じ価値観を共有し、助け合える・・・というような返答がある。
では、あなたが職場で実際にしている尊重は?と問うと
「個性を認める」「お互いの違いを認めあう」などというこれまた遠回りな返答がある。
前出の居酒屋の店長と同様で、これはスタート地点が間違っている。
個性はあって当たり前、違いはあって当たり前!認めあうなんて重くるしいものではない!!のだ。
尊重とは風通しのいい人間同士の距離
コロナウィルスで「密」という言葉が使われるが、職場の人間関係に
《仲の良さ》を求めすぎるのはこの「密」状態に似ている。
不和というウィルスがすぐに蔓延してしまい、そして定着する。
馴染みのパートさんには家庭の愚痴やひどいと下ネタまで平気で話す責任者がいる。こういうタイプの責任者は、打ち解けることを良しとしていて、距離感が近く自己開示や価値観の共有を部下にも無意識に強いる。
その結果、職場に古株のパートさんしか残らないという点に気づかずに
「若い人が入ってきても続かないんですよ」となるのだ。
自業自得ではなく、求人の費用は会社持ちなのだから現場での責任者の態度は、実は経費にかかってくるが、本人は痛みがないので知ったことではないだろうが。
今日からはじめよう!
他人のドアをこじ開けず、自分のドアは開閉自由にしておくこと
もし、あなたが責任者で、自分の職場の人間関係を軽やかに保ちたいなら、
誰とでも仲良くするのを求めるのではなく、誰とでも同じ距離をとることのほうが効果がある。
昨日入ったアルバイトさんにも10年前からいるパートさんにも姿勢も態度もかける言葉も同じ程度の距離感を保つことだ。
誰にでも尊重という名の距離をとることは、丁寧が基本である。
ベースの態度を変えるのは、根気がいるが、
態度を変えれば(行動がかわれば)
結果は違ってくる。
言葉は丁寧に温かく、態度は柔らかく親身で、そして相手の自己開示をやたらに求めないこと
業務に支障がなければ、内向的な人や無口な人に無理にコミュニケーションや自己開示を求めないという姿勢を自らとり、そのような価値観であることを表現すれば、いい意味でゆるく、同調圧力の少ない寛容な距離を他者ととれる職場になっていくのである。