神は食事を作り皿に盛る
1回で5千人が食べるフリーキッチン(無料食堂)
このドキュメンタリーほど、人が食事を作り、食べるということを淡々ととらえた映像はないのではないか。
ナレーションも、大げさなBGMもない。
しかし、スケールが大きい。
10万人分の食事がどのように作られ、供されるのか。
宗教、人種も階級も関係なく食堂で一斉に食べる人々を観るだけでも飽きない。
食事の材料である食物、それを煮炊きする燃料はすべて寄付である。
そして、それを運ぶ人から食事の下準備、調理、すべてが奉仕、人力である。
バケツリレーをして食材を運び、下準備は野菜の皮むきからみじん切りまで仕事を分担して、大人数でやる。ひたすら豆のさやを開いたり、にんにくの皮をむく大勢の人々は淡々としているが、嫌々でやっているわけではない奉仕である。
1回の食事で5千人が食べるのだから、仕込みも半端な量ではないが、便利な調理器具はない。
巨大な薪釜、大きな料理鍋につききりで調理し、寸胴や食缶に分けられたカレーはもちろん、人が運ぶ。効率のいい調理も出来合いのものもここには存在しないのだから、ひとつの材料が終われば、その時々で作るものを変える。
効率が悪いように思えるが、スピードがあり、見事に整然としている。慌てたふうでもなく、焦るふうでもない。
多くの人の手で作られたものが、多くの人々のお腹を満たす。
ただ、それだけ。
けれども、圧倒される。
このフリーキッチンがある黄金寺院が常に平穏で無事だったわけではない、過去には軍隊との衝突で多くの死者を出した現場にもなっている。
そんな悲しみの歴史を背負いながらも、数百年にわたって続けられて来たフリーキッチン。
その姿を淡々と追ったこのドキュメンタリーは、食物を作ること、食べることには、恵みが欠かせないのだということ、恵みを受け取るのにも人が欠かせないのだという当然のことを静かに奇蹟として感じさせてくれる。
多くの先進国では、効率を食べているといってもいい。
効率的に作られたものだから、使われない部品のように廃棄することを仕方ないというとらえ方なのだ。
そして、気づけば人間も効率に支配されている。
人間にとっての恵み、生きるための食事、そして食べることへの感謝、先々に残すべき食のあり方とは、分かち合いとは何か、立ち止まって考えたいものである。