気づかないふりをするとモンスターになってしまう
東須磨小学校のひどい状況が明らかになってきている。異様なことであるが、
毒のある人間が連携したり、毒のある言動が日常的に当たり前になったりすると人は麻痺してしまうことがある。または、恐怖のために思考停止になってしまうのだ。
私は心理学者ではないが、もともと毒を持ち合わせていないような人が、じわりじわりと毒を取り込み、感化されていく様子はよく知っている。
5年ほどいじめを受けて、人の心が歪になっていく姿を度々見たからよくわかる。
小さな学校だった。教師の中には、暴言は吐かないまでも、いじめを助長させるような言動をするような人もいた。
私は、たまりかねて道徳の時間に、人間の心の、魂の善良さを説いて平等や自由や人間愛を連呼する先生に助けを求めたが、
「私にはどうすることもできない」
とうつむいてしまったのだ。
私が悲嘆にくれたか?もちろんくれた。
が、それと同時に、どいう状況の中に私はいるのかを自分なりに猛烈なスピードで考え分析した。
14歳だった私は、心の底からその道徳の先生を可哀そうな人だと思った。
自分に被害がない、自分が善良でいられる問題には
英雄のように声をあげて非難するが、自分をとりまく現実的な周囲の問題には恐怖に固まり、自分の立場や力関係に怯えてただ、黙っている。
私の悲しげな過去を知ってもらおうというのではない、この学びから得たものはとても大きかったのだ。
この先生のおかげで、学んだことは、また別の記事にしようと思う。
ここで私が言いたいのは、
人が集まる組織では、予期せぬ毒が育ってしまうことがある
ということだ。
人的な毒を放置すれば、それはカビのように広がり新たな毒を生む
気づかない、もしくは気づいても放置していると
毒は居座り業務の戦力になってしまうこともある
ある時、私は仕出しの弁当を作る会社に採用された。メインの仕事もあったので、時間は短時間でとお願いしたが、話をするうちに風向きがおかしくなった。
現場の責任者と営業の責任者と話をさせられた後、二代目だという社長に会って話しを聞いた。
分かりやすく言えば、彼らの私への希望は、
「現場の雰囲気を変えてもらいたい」ということだった
見てもいない現場の雰囲気を変えられると引き受ける気もなかったが、現場の責任者からの話しから察するに、雰囲気が悪い状態が常態化しているように感じた。
とにかく現場にでてみないと分からないので働いてみたが、
古株の人材が連帯して毒をまき散らし、いくつかの派閥が出来ているという最悪なケースであった。
毒は、目の前にすぐに数字で出る損失ではないために、痛まない虫歯のように放置してしまう責任者がいる。
だが、これは馬鹿げたことだ。
離職率を押し上げ、新規採用しても3日と続かないという職場を育てるのは現場の責任者の怠慢でもある。
だが、立て直しに燃える現場の責任者がやってきても会社全体の後押しがなければ改善は難しい。
だからこの会社の場合、長く責任者を務めている人は毒の存在を知りながら
正すことに躊躇して、そして慣れてしまった人である
こういう人的な責任は経営者の人間的な視点がやはり関係してくるのだろう。
この社の社長は、現場を視察に来る日にちや時間を現場のスケジュール表に明記させており、登場すると責任者を引き連れ、本人は両手を合わせ「ご苦労様」「お疲れ様」と声をかけて回り、それを少し離れた場所で仕事をしていたグループは、口々に「自己満、邪魔、猿芝居」などと冷笑しておりなんとも痛々しい視察が繰り広げられていた。
数日後、社長と面談があり、
「最初になにを変えたらいいか率直にいってくれ」というので
「芝居がかった視察をとりやめることが一番です」と答えると非常に不快だったのだろう、沈黙してしまった。
「何故?」という疑問も湧かなかったようだ。
弁当へのクレームが近頃増えていると同席した営業の責任者が言っていたが、愚痴や暴言、悪口、気を遣うストレスフルな職場では、責任逃れや責任転嫁が横行して商品の出来不出来をチェックする時点で注意力は疲弊してしまっているのだ。
毒は放置するとミスが増え、ともすれば重大な事故にもつながる
そういう危機感が皆無である。
怠慢は商品でどうしても出てしまうものだという危機感をトップが持ち、商品を作る人々とそれを共有することができれば、同時に良い商品を作り、売る喜びも共有できる。
各部門や現場のトップがその危機感をしっかり持ち、商品を良くしようという姿勢が強ければ、足を引っ張る存在の人材が幅をきかせるようなことにはならないのである。
しかし、手を合わせて従業員にねぎらいの言葉をかけてまわることが自分の立場で出来る最大限だと思っているこのトップにはその姿勢を明確にする気はなかった。
現場にはびこる毒は悩みの種であろうし、実際表面化している問題をどうにかしたいのではあろうが、
効果的な行動をとらなければ何も変わらない。
単に悩んでいるだけなら誰でもできる、悩むことは消耗しているようで実は保留の繰り返しにしかならないのです
私には、提言は出来ても変わりたくない人を無理に変えることまでは出来ないので、この会社との繋がりはとても短いものだったが、毒をもつ人材の放置で会社が大変苦しむということの再確認にはなりました。
人手不足だから見ないふりはとても危険
いざ、我慢の限界となって退職勧奨などとなっても手順や方法が適切でなければ訴えられることもあります。
経営的資源を動かすのはあくまで人。
そのためには風通しのよい人員構成や理念の共有が欠かせないし、問題が生じたときの責任者の初動がとても大事なのです。
毒キノコを大きく育てても食べられるようにはならない
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