飲まずにいられないオジサマたち
ちょいと入れ込みの座敷の店、隣のテーブルとは衝立だけという場合など、 ささやかに会話が聞こえてくることがある。
小津安二郎監督の作品には、昔馴染みの仲間と飲み食いしながらオジサマ達が色々と語るシーンが出てくることが多いが、衝立のむこうを覗き見ている気になってくる。
遺作である「秋刀魚の味」は、オジサマ達が集まって飲むのを見るのが好きな人(そういう人たちがいるかは知らないが)にはたまらないだろう。ここに出てくるオジサマ達は、わりとくだらないことを話すし、主義主張とか正義とか武勇伝とかは出てこないけれど
「さみしいんだよ、娘が嫁に行っちゃった晩なんて嫌なものだからなぁ」
お父さんたちの気持ちをストレートにぶちかますセリフは出てくる。
しかし、この作品とにかく酒である。
小津監督が大酒飲みであったからか、小料理屋、料亭、バー、とんかつ屋などとにかく食べ、語らう場所にはビールの大瓶やお銚子、ウィスキーがテーブルの上にのっているが・・・何を食べているのかはよくわからない。会話に食べ物のことが出るのもわずかで、テーブルを丸ごと上から撮るということはなくローポジションで、テーブル横から、食器の柄が見えるくらいで中身は見えないのが常である。
何を食べているのかは見えないというのが、またいい。
小鉢の中のものをちょいと箸先でつまんで口に入れた後に熱燗を飲むという仕草を見ても、中身が見えないからこちらが想像するしかないが、それが楽しくもある。
「このわたか、いや、いかの塩辛か・・・カニみそではあるまいが、酒盗か・・・」などと考えるうちに、熱燗とそれぞれを組み合わせた時の味わいが脳内に刺激をもたらすのか、一時停止のボタンを押して日本酒と塩辛を買いに行ったりしてしまう。
小津監督は、自身で気に入った店の地図なども描きこんだグルメ手帖を作るほどに食べるのが好きであったといわれる。ちなみに好物はお茶漬けで、天茶、鯛茶、鰻茶となんでもござれである。鰻もかなり好きだったとか。
脚本家の野田高梧さんと良い構想が出てくるまで、火鉢であぶった魚や鍋をつついて酒を飲んだというがその間に一升瓶が何本空いたことだろうか。
好んだのはこのお酒。
「秋刀魚の味」の後に構想を練っていた映画のタイトルが「大根と人参」
小津監督は、撮影所の空き地に大鍋を火にかけるかまどを作らせ、銀座の中華店から職人を呼び、麺とスープをその店から取り寄せて作らせたラーメンを大勢のスタッフで食べたというくらい食を大いに楽しんだ人であるが、そのグルメが高級志向の美食に偏ったものでないことは、茶漬けに、秋刀魚に大根と人参と庶民的な食べ物をタイトルにチョイスするあたりでもわかる。その食べ物に愛着がなければタイトルには選ばないだろうし、またその味わいが人生のどんな場面や感情を彷彿とさせるのかは本人が食べていなければわからないのである。
こちらにも、前半にはオジサマ達の飲み語り、半ばにはバーや中華店などが出てくる。
こう寒くなってくると、小津監督の作品の中で飲まれている熱いお銚子がとても美味しそうに見える・・・ので、つい一本つけてしまう。 〆には大根と人参のぬか漬けでもポリポリしながらお茶漬けでも食べようかな。