大盛ナポリタンは喜劇になる
↑ [こちらは試作品タイムのときの塩豚の焼きナポリ]
深夜にスパゲティをゆでる時、最初はかなり少なめに入れる。
しかし「足りるのか?」という不安が、もう少しもう少しとスパゲティをつかんでは鍋にいれてしまう。
鍋の底へ太麺のスパゲティが「たらふく食えよ~!!」と叫んで落ちてゆく。
「深夜のスパゲティはやばいんですよ」そういうと、
「あぁ、パスタは太るよね。カッペリーニにして少な目に食べたら?」
とか返事したやつがいたが、そんなやつとは絶対に食事にいかない!
煩悩キッチンには出入り禁止だ!
飲みの帰りに喫茶店に入った時、小腹が空いてきたからとスパゲティをシェアしようとしたら、ボンゴレやカルボナーラを注文しようとする人もいたが、こういう人は、電車に乗って一件目の居酒屋に取って返し、アサリの酒蒸しと特製厚焼き玉子でも食べていればいいのだ。
こんなときはナポリタン一択である。
ナポリタンを頼むと出てきた皿をのぞき込んで
「おぉっ、昭和だね~」
などという人もいるが、昭和というフィルターがなくても、ナポリタンはいつだって美味い。
だが、その後の「オレの大学時代はね」から始まる食べ物話しは嫌いじゃない。
思い出の中の食べ物は、仲間でもある。
たとえ涙を流しながら食べたパンの耳でも、記憶に強く残っているということは、その食べ物と分かち合った境遇が現在の自分を作っているからだろう。
さて、深夜のナポリタンは、具材の都合がつかずに、微妙に玉ねぎ多めな展開が望ましい。
「美味しくなるから、シャンピニョン入れちゃおう!」とか、
「昨日買ったなんたら牧場の絶品厚切りベーコン」とかはいらないのである。
ウインナーでいい、なければ魚肉ソーセージでもいい、ペラペラのベーコンでいい。
ケチャップをケチらず、隠し味も多めにいれてジャージャーと焼きつけて作る。
アルデンテ?それ誰?そんなものを楽しむために深夜のナポリタンを作るのではない。そんなやつはペンネにオリーブオイルでもたらしてかじっていればいいのだ。
熱々のナポリタンもいいが、少し冷めたものも好ましい。
学校から帰ってくると入れ替わりに母が仕事に出るときもあった、
ラップされたやや冷えたナポリタンが美味しかった。
なかなか麺の絡みが解けなくて、パルメザンチーズの粉の粒がはっきりわかるという状態。
OH、母子家庭!ちょっぴり寂しさと共に味わった思い出の味なのさ。
そんなセンチメンタルな気分も、翌日体重計に乗ればすっかり忘れてしまい
喜劇になるもの。
人生とはかくのごとし。